中国・都江堰―世界最古の治水利水施設が直面するダム建設問題

―自然環境、世界文化遺産の保護と現代社会経済発展との争い−

 敖  天其

**吉谷 純一                       

はじめに

20038月下旬、筆者らは、中国の四川省にある世界最古の古代水利施設である世界文化遺産、都江堰とその直上流の新ダム建設計画の現地調査を行った。本稿では、中国のインターネット情報及び四川大学の水資源専門家からの情報をもとに、この新ダム建設計画にまつわる意見とそれに関係する情報を紹介する。なお、本紹介記事の情報源は非常に限られ、結果として偏った内容の紹介記事となっている可能性があるが、日本語で紹介する意義は高いとの判断から、ホームページ上に掲載することにした。

2 都江堰の概要

 中国西南地方の四川省における都江堰は、2260年の歴史を持つ治水利水頭首工で、長江上流における最大水量を有する支川、岷江の中流に位置する。この頭首工は、現在でも昔の姿のままで洪水調節や、農業灌漑などの産業用水と土砂排出などの三大機能を効果よく発揮し、そのお陰で、四川省も‘天府の国’と呼ばれてきている。都江堰頭首工は、「魚」、「宝瓶口」、「飛沙堰」の三つの主要施設により構成され、その最大の特長は、水流の自然の力と地形を巧に利用して、洪水調節、灌漑、土砂排出の役割を数千年にわたって機能していることである。中国では、都江堰は‘人類と自然が調和した持続可能な生態型の大型治水利水施設の模範’と位置づけられ、その‘水の流れの力を強制的に制御せず、巧妙に利用すべき’といった治水理念或いは利水哲学は、現代の河川・水管理でも模範にすべきと非常に高く評価されている。200011月には、このような実績などから世界文化遺産になった。

 図―1に都江堰の構成概要とそれぞれの役割を示す。は、河の中に位置し、内江という人口導水路を作った時掘り出された土石による月型の人工小島である。この小島により、岷江が東側の内江と西

図―1 中国・都江堰の概要図

側の外江に分けられ、その小島は自然分流の役割を担当する。豊水時は内江に4割、外江に6割が分流し、渇水時の割合は逆となる。内江の水は、宝瓶口という山の岩石を掘って作った狭い人工導水路を流して、下流の引水路ネットワーク(総長約2km)に流れ込み、2300万人の生活用水、最大2.3Km2の農地の灌漑用水を供給する。宝瓶口は幅20mしかないため、洪水時は下流にある川西平原用水の入り口とその直上流にある飛沙堰(=高さ2mの堰)を通じて余分な水を外江へ流させる重要な機能もある。その結果、宝瓶口への流入は上限730m3/sに制限される。また、魚の上端と下端(飛沙堰)ともに、河のカーブにおける流速分布状態を活用し、土砂を自動的に排出する機能を果たしており、このような上下二次排砂施設で、内江に流れ込む土砂は上流からの土砂総量の僅か8%しかない。

3. 都江堰の管理体制と開発現状

都江堰は、岷江源流から300 kmにある。都江堰近くとその下流の用水管理、河道整備と導水路建設など全般の管理責任と権限は、四川省水利庁が直轄する都江堰管理局に属する。その管理局の行政レベルは、60万人の人口を有する地元政府である都江堰市政府よりも一ランク高い。 

 頭首工上流の開発現状としては、上流にすでに3箇所の発電所がある。現在は、上流約8 kmに、四川省の最大規模のダムとして、貯水、洪水防御、発電を目的とする紫坪舗という多目的ダムが建設中である。このダムは、980億円の予算で、工期が2000-2005年であり、20038 月現在でダム発電所工事の約半分が完成した。この紫坪舗ダム建設は社会問題となっていないが、現在、その下流で、都江堰頭首工上流1.3kmに、政府機関の都江堰管理局と、四川省投資会社と成都市投資会社が建設主体となっている楊柳湖というダムが計画されている。この楊柳湖ダムは、高さ23 m、長さ1200 m70億円の予算で、その上流の紫坪舗ダムの‘姉妹工程’とも言われている。2000年に国の管理部門が主催した専門家審議会で、楊柳湖ダムの建設は環境と歴史文物の保存などの理由で否定されたことがあるが、今年4月にダムサイトの現地選定会議が開催され、これを契機に、楊柳湖ダム建設の利害に関する論争が公開化されるようになった。8月以来、中国全国の話題となり、新聞、地元政府、専門家と民衆の強い反対意見により、都江堰管理局の関係者は、ダム建設を一時休止すると発言した。

4.開発による激しい論争

楊柳湖ダム建設計画は、西部大開発の重点政策に基づく計画である一方、反対派は世界遺産の保護を理由に計画に反対している。論争は、西部大開発をとるか、世界遺産をとるかという議論であり、次第に激しくなっている。政府機関、建設関係者、水資源・景観・構造物の専門家に加えて、一般民衆も論争に積極的に参加し、その様子は中国の新聞紙やインターネット上にも一部公開されている。図―2は、楊柳湖ダム完工後の都江堰の想定風景である。

図―2 新しいダム、楊柳湖ダムが作られる場合の都江堰の予想様子

建設推進派は、建設主体の都江堰管理局と一部の専門家などで、賛成の理由は:

(1)   楊柳湖ダムの建設及び上流の紫坪舗ダムとの統合運用により、必要とされている治水利水の効果が顕著である。例えば、下流の安定した水供給を確保と増強し、渇水や断水を防ぐ。農業灌漑面積は、現在の1000万畝から1400万畝へ拡大できる。成都市の工業と環境供水量は、年間50m3が増加可能で、河川維持流量の安定と向上が可能になり、河川水質の改善に欠かせない。また、外江の洪水防御能力も、発生頻度10年から100年の大洪水まで向上できる。

(2)   楊柳湖ダムは、上流ダムの放流の流れを緩和し、都江堰頭首工区間の河床を激流から保護する。

(3)   頭首工区域の景観については、楊柳湖ダムの緑化などにより大きな影響を避けることができる。

(4)   上流ダムの発電効率の向上による投資回収の確保。四川省においては、現時点での発電能力は1600KWで、そのうち水力発電は1060KWであり、上流の紫坪舗ダム発電所の発電能力は76KWである。この発電所は岷江にある唯一の調整能力を持つ水力発電所で、電力供給の調整に役に立つ。しかし、下流ダムがないと、維持流量確保のため発電には無効な放流が必要となるため、年間70億円の損失があり、8.5年返済のローンを返すことが不可能になる。

 

反対派は、地元政府と住民、複数の国内有名な専門家などで、反対の理由は:

(1)   世界遺産申請時に景観が問題視され、苦労の末、認可を得たのに、さらに景観を悪化させることはすべきでない。これは中国の名誉と子々孫々の長期利益に関わる問題である。特に世界遺産保護の責任と義務を実施し、代替が不可能な世界遺産の保護が最重要である。

(2)   楊柳湖ダムを建設しなくとも、節水灌漑技術などで、下流の安定した用水が確保できる

(3)   景観の悪化により、世界遺産が撤回されると、観光収入が減少する。(注:都江堰は、国家級別の観光地でもあり、旅行は当地の支柱産業で、毎年国内外からの観光客は400万人で、年間約168億円の旅行経済収入を有する)

(4)   その流域の地質は、断層が多く地震の発生しやすいところであり、ダムは下流の安全を脅かす。

(5)   発電効率の向上という理由は、紫坪舗ダム貯水池の発電用操作が不適切であるためで、楊柳湖ダムを建設したいがための意図的操作である。

 

このような論争に応えて、中国国内の一部の有名な水利専門家には、楊柳湖ダム建設の代わりに、建設中の紫坪舗ダムの設計発電能力を低くすることにより、水供給と発電を両立でき、これは工事の現段階では実現できるし、例えある程度の短期的な経済損失があっても、全局的に長期的にみれば、最良の選択であるという発言もあった。また、最近、中国建設部、国家文物管理局、中国国連教育科学文化組織委員会、四川省関連管理部門の役員と専門家で構成された調査団が組織され、世界遺産保護公約の遵守を強調し、科学的かつ十分なアセスメントがなければ、楊柳湖ダムの建設による損失は図りきれないと指摘したという報道もあった。一方、水資源の専門家には、賛成派は少なくない。楊柳湖ダムを建設するか、中止するか、再審議を受けるか、については、まだ明確になっていない。なお、20039月から施行される中国環境評価法が適用されるのかも定かではない。

 

5 おわりに

今夏の中国・都江堰・楊柳湖ダム論争事件による感想として、中国国内における意思決定の公開性、環境意識、自然と協和し持続可能な開発活動を行う意識が高まっているとはいえるが、世界遺産の数が世界第三位の29箇所もある中国にとっては、関連法律の整備、管理体制の改善、意思決定過程を更に公開し各方面の合意を貰うことなどがこれからの課題である。

 

 

参考文献

(1) 和田一範:信玄堤, 山梨日日新聞社

(2) http://www.dujiangyan.com.cn/; 2003-08-16

(3) http://www.yzdsb.com.cn/; 2003-07-21日付文章

(4) http://www.southcn.com/news/china/zgkx/default.htm; 2003-08-05, 08-10, 08-15日付文章

(5) http://www.xnong.com/News/; 2003-08-10日付文章

(6) http://www.southcn.com/news/china/china04/shiyi/default.htm; 2003-08-04 日付文章

 

参考写真

都江堰入り口よりを望む。右が上流。

宝瓶口。最大、700 m3/sを取水できる。

一般向け都江堰の模型。水が流れ、流砂の観察もできる。

 

* 水理水文 日本学術振興会 外国人特別研究員

    ** 水工研究グループ 水理水文チーム 上席研究員