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時とともに移り変わる木曽川の河原

 自然共生研究センターの実験施設上流部、東海北陸自動車道の通っている一帯は、400年前の関ヶ原合戦の折、家康方の東軍が木曽川の本流を渡ったところで、これを迎え討った岐阜の城兵と激戦を交えた古戦場です。

 現在は上流にできた大型ダムによって、大洪水はめったにおきませんが、それまでは岐阜県側の右岸堤と、愛知県側の左岸堤を一面の濁流によって埋めつくされることがしばしばあり、その度に流路が変わり、河原の様子が一変していました。

 明治期までは今の新境川より北に本流があり、そこを白帆をはった舟が上り、いかだが下っていました。本流が南へ移っても、元の川辺には、春ともなればネコヤナギの花がいっぱい咲き、秋にはハギやススキの花が咲き誇り、仏花として、またお月様へのお供え用として、よく取りに来たものです。

 ところが、河川改修で本流が現在の位置に移った頃から、ネコヤナギは次第に姿を消してマルバヤナギの大きな木が繁り出し、ハギもススキも激減し、ヌスビトハギの天下となり、今では年毎にオオキンケイギクの花園が広まりつつあります。

 近頃の河原の移り変わりには目をみはるものがあり、ぼやぼやしておられないのが実状です。


宮崎惇

木曽川を愛する会

かつてのネコヤナギの群生は
次第に姿を消しつつある