雪崩・地すべり研究センターの地すべり試験地である猿供養寺地すべり(新潟県上越市板倉区)には、人柱伝説があります。この伝説は、今から約800年前の鎌倉時代のことです。
猿供養寺地すべりのある猿供養寺村は、山寺三千坊と言われ数多くの寺が建立され栄えていました。ところが、地すべりが発生し、仏閣や開拓した耕地、家などが被害を受け、村人は離散しなければならないほど困った事態になってしまいました。そこに、旅のお坊さんが猿供養寺村の山中を通りがかり、大蛇どもが地すべりを起こし自分たちの住み家の大溜をつくろうとしているのに遭遇しました。その際、大蛇どもが、「このことを人間達が知り、姫鶴川に”四十八タタキ(杭を打ち谷止めをすることと推定される)”をし、生きた人間を人柱にしたのでは、地すべりを起こせなくなる。」といっているのを聞いてしまいました。旅の坊さんは大蛇どもにみつかりましたが、難を逃れ猿供養寺村に辿り着きました。
村では、地すべりの被害による村の惨状を見、村人達の衣の袖にすがっての将来が安泰であるよう教えを乞う嘆願を聞くことになりました。そこで、坊さんは、大蛇どもが話していた「四十八タタキと人柱」のことを村人に授けました。村人は早速総出でタタキを始め、仕事は順調に進んで行きましたが、人柱の人選については幾日幾夜相談しても決まりませんでした。これを聞いた坊さんは、「自分が人柱になり、この地すべりを防ぎ、この村を守る。」という決意を語り、人柱になられたということです。
この人柱伝説は、実話であったことが分かりました。昭和12年3月10日、集落の人々が耕地に客土をするために伝説の大地正浄寺裏を掘り返したところ、地表面下1m位のところからザル瓶を被った人柱の遺骸が見つかったのです。新潟大学の調査によれば、脚の骨は非常に太いが腕の骨が細いことから旅人や商人などで、腕を使う農夫ではないことや、男性で40歳前後であることが推定されました。
以上は、元寺野村村長の西山清信氏のお話を要約したものです。なお、お坊さんの遺骸は、地すべり資料館に隣接した人柱供養塔に葬られています。興味のある方は、是非お立ち寄り下さい。
|