雪崩・地すべり研究センターたより

【道路雪害研究特集 No.2】
下村忠一氏顔写真

新潟試験所の思い出

はじめに
 よく言われる「38豪雪」を契機に新潟試験所(以下「試験所」と言う)の道路部門が発足したと言っても過言ではない。
 今年は、その年に匹敵するほどの大雪に見舞われている。その当時は、除雪機械の開発、雪崩対策等の検討が始まった時期でもある。試験所の調査研究も初めてであり、なにをやるにしても「新鮮さ半分」、「大変さ半分」で、苦労したことを思い出す。
 調査の過程では、雪崩の危険にさらされ今でもぞっとしたこととか、豪雪で大変だったこと、職場での楽しさ、雪国での大変さ等、思い出も多岐に渡っている。二十数年過ごした雪国での生活は、今思うと楽しく、充実した時期でもあった。以下、その思い出の一端を紹介する。

1.自然雪崩に遭遇
 雪崩の話は、書物、テレビ等で知る人はいるが、実際の雪崩に遭遇した人は少ないと思う。自然雪崩は何時でも遭遇できるものではない。
 一般に雪崩は、破壊力が大きく構造物など一瞬のうちに破損すると言うイメージが強いが、実際には気象、地形等により規模等は千差万別である。今回遭遇した雪崩は、なだれた量では我が国で観測された中でも大規模雪崩に相当すると思われる。
 雪崩が発生した時は、音もなく多量の雪を伴って流下した。この様子は異様であり恐怖感を感じた。遭遇した雪崩は、人工雪崩実験(写真−1の左側が妙高幕の沢の雪崩実験場)を行うための事前調査として入った場所である。昭和39年2月の前半だったと思う。斜面の積雪深は4m50cm程度、2日前から降り続いた新雪が1m50cm程度あった。この新雪部分を考慮し表層雪崩の実験を行うために入山したものである。
 山頂付近の積雪状況を調査するため尾根(写真中央)を移動中のことである。頂上に近づいた時、焼山の火山震動が起こり目の前の雪が尾根を境に両側2m先から崩れ雪崩が発生した。まず山頂に向かって右側、続いて左側から数秒の時間差で発生した。雪崩の発生量は、両斜面で135,000m3(幅は左右で300m、長さ300m、雪崩厚は1.5m)程度と思われる。運良く尾根を移動中であっため被害はなかったが、山に登る途中に置いてきたスキーが流されてしまった。雪崩が発生した時は、人の安全を確認しつつ雪崩現象をカメラに納めようとシャッターを押したが、慌てていたため、ほとんどピンボケ状態であった。
 今思うと、大規模な自然雪崩を目の前で拝見できたことは非常に幸運であり、良い経験をさせてもらったと思う。しかし写真に残すことができず残念。雪山に登る時は、十分な注意が必要であることを痛感した。


写真−1

 


写真−2


写真−3

2.豪雪時の思い出
 今年の雪は、各地で記録が更新されている。ここでは、現在のように情報システムとか除雪機械の充実、雪崩対策施設等が整備されつつある状況とは異なり、豪雪時に交通渋滞、交通止めが発生した59年、60年、61年豪雪の思い出である。
 この三年連続の豪雪時には、上越地方の高田地区では各年共に300cm前後の積雪が記録された。この大雪により主要道路は交通渋滞、交通止めが発生し、物流等の移動手段が閉ざされたため生活物資の入荷ができず市民生活にも大きな影響を与えた。市内では屋根の一斉雪下ろし等(写真−2)により大渋滞に陥った。
 試験所では、雪は調査において欠かせないものである。そのため雪の降るのを待ち望んでいたものであるが、さすが豪雪時には、調査のために現地入りしても雪が多く、除雪に始まり除雪で終わることがしばしばあった。これにより十分な調査結果が得られない年もあった。写真−3は試験所の旧庁舎の雪下ろし状況。
 個人的には、自宅に帰ろうとすると道路の除雪が追いつかず通行止のため試験所で泊ったこともしばしばあった。車が通れるようになり自宅に帰っても屋根の雪下ろし、駐車場の確保等と、雪に関わる労働が日課となった。
 雪のない地域の人は、スキーができていいねとか、雪の景色は素晴らしいね、と言う人がいるが、雪国の人にとっては、積雪期、特に豪雪時には雪を楽しむどころか苦しみの毎日である。一方、子供は大雪になると喜んで二階の屋根からソリ等で楽しそうに遊んでいたのを思いだす。

3.山菜
 雪国では、辛い冬が過ぎ春になると、冬の苦しみを忘れ、開放感に浸る時期である。この時期は安堵感、木々の芽吹き、そして山の幸の季節である。これらを楽しみに毎年春が来るのを待っている人が多い。筆者は、雪がなく山菜にはあまり縁のないところから来たため山菜には興味がなかった。しかし、この地方独特の料理(?)である竹の子汁等の山菜料理を味わってから、その旨さの虜になり、毎年竹の子汁会等を楽しみにしている一人である。
 山菜には、竹の子以外にもウド、蕗のとう、ワラビ、ゼンマイ等と盛りだくさんある。
 また、秋になるとキノコが採れる。冬はスキー等を考えると一年中楽しめる地域でもある。職員とのレクレーションの場として竹の子汁会等は最高の思い出であった。


写真−4

4.官舎の雪との戦い
 昔の官舎は平屋建てが多い。雪の多い地方では、屋根の雪下ろしは付きものである。屋根に積もった雪を下ろさないと屋根の庇が壊れるとか(写真−4)、家屋が倒壊する原因になる。倒壊する前は、家の中の梁に雪荷重に加わり襖戸や窓が開かなくなるとか、梁等がミシミシと音がし不安で寝れない日々もある。また、雪下ろしが多くなると屋根と雪面が平らに(写真−4)、あるいは、それ以上になり2階建ての人は二階から出入りし、平屋は地下に潜るようなことになる。雪で覆われた家は暗く、湿気があり憂鬱の生活を送る。
 家が雪で埋まると換気が十分でなく、ストーブやガス等を使う場合、一酸化中毒等の心配がある。その対策の一つに家と雪壁との間に隙間を設ける方法(除雪)がある。この作業は屋根雪処理の他に行なうため大変な作業になる。また、降雪日には毎日ように行なう必要があるため、大変な重労働になる。平屋の屋根雪の処理は、雪下ろしでなく、雪上げの作業になり、雪下ろし作業に比べ倍近くの時間が必要になる。
 もう一つは、雪国は湿気が多いため押入やタンスの後ろ等に水滴が溜まる。それが原因でカビが発生する。布団には水分が吸収し重く湿った状態になる。この状態を解消するために天日干しとか、乾燥機等を用い除湿されているが、雪国は晴天になる日少ないため、後者が多く用いている。

5.柵口雪崩の思い出
 昭和62年1月に発生した柵口の雪崩災害がある。死者13名、家屋の全半壊13戸を出した大きな災害である。
 発生時には、大学、行政機関等の関係者が招集され被災者の対応、今後の対応等議論された。
 試験所も調査の一員として参加した。試験所は、雪崩発生区の特定、雪崩の流路等を解明することである。調査は、積雪の断面観測により行なった。断面観測の調査孔は、直径3m、深さ4mのものを横断方向に4孔、縦断方向では50m間隔に4孔の計16孔を作成し、大規模調査を行なった。作業は、30人程度の体制で3日間ほど行なわれた。調査期間中は、毎日が降雪に見舞われ、雪崩発生の危険が伴う中、監視員を設け実施した(写真−5:作業風景)。
 調査当時は、雪がない時の地形状態を考えず無我夢中で調査孔を掘り続けた。調査が終わり雪が解けてから現地に入ってびっくり。この場所にはため池が存在していた。当時は、その上を掘っていたことになる。調査時には4m程度掘ったと思う。もう少し掘っていたら池に落ちていたのでは、と思うとぞっとした瞬間でもあった。


写真−5

 

あとがき
 長期間勤務めたおかげで多くの思いで得ることができた。今回は、その一部を紹介しましたにすぎない。全般的には、雪国の良さは、雪国に住んで初めてわかるものだと痛感した。

下村忠一(元新潟試験所長、現(株)アルゴス副社長、(社)雪センター技術顧問)


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